<旧>神のやしろを想う~ぶろぐ(更新終了)

神社写真や鉄道写真、雑記雑感雑想日記なブログ。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

猿田神社~銚子~

そんなわけで週末恒例となること銚子行きも7週間連続www

今日は朝方に「猿田駅」で途中下車して、猿田神社に初詣。
銚子市内では一番大きな神社。
本殿は県指定有形文化財。
一応、神社趣味業界?では名前のしれた私ですので、そこは抜かりなく参拝。

銚電祈願をして、巫女さん巫女さんでまたーり。といってもあまり時間ないけど。

神社に関しての由緒や由来は本館サイトで記載するので、ここは写真だけ先行。
猿田神社
参道は総武本線の上を渡ります。レンガ造りが粋な参道
猿田神社
拝殿
猿田神社
本殿

銚子市内の神社は今回の「猿田神社」(本館未掲載)以外に銚電沿線として
外川「渡海神社」「大杉神社」(本館未掲載)
笠上黒生(川口)「川口神社」
本銚子「浅間愛宕神社」
観音「銚港神社」
は参拝済み

そんなわけで「神のやしろを想う 銚子の神社」編もよろしく

本日の銚子電鉄レポはこの次で
スポンサーサイト
  1. 2007/01/08(月) 21:50:30|
  2. 写真-神社
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

氷川丸と氷川神社

横浜に係留されてきた往年の名船「氷川丸」。その一般公開45年が幕引きされる時が迫っている。
http://www.hmk.co.jp/index.html

氷川丸。
もとは日本郵船の社船。
三菱横浜造船所において建造され、1930年(昭和5)年4月25日に竣工。
「氷川丸」の船名は、氷川神社による。
「北太平洋の女王」として北米航路の花形として君臨。

1932年(昭和7年)に、喜劇王チャーリー・チャップリン氏乗船。
1937年(昭和12年)に、秩父宮両殿下が、横浜港まで乗船。

1941年(昭和16年)、太平洋戦争勃発とともに日本海軍に徴用。
主として南太平洋海域において、病院船として活躍。
1945年の終戦まで沈没することなく活躍し終戦後も、復員輸送に従事。
1953年(昭和28年)には、再び改装工事が行われ、太平洋を横断する唯一の本格的客船としてシアトル航路に復帰。

1960年(昭和35年)10月、現役生活を引退。
1961年(昭和36年)に横浜港・山下公園に係留。

そして
2006年12月25日をもって、その一般に公開されてきた営業が終了されてしまう。

戦前から就航し戦中を生き延びたその貴重な歴史の証言者。
その姿を、見ておかねば後悔することが目に見えていた。

そんなわけで、12/9。雨の降る中、ようやく出来た時間で横浜に赴く。

氷川神社
氷川丸

氷川神社
マリンタワーから見た氷川丸

氷川神社
山下公園から赤レンガに向かう船からみた氷川丸


[氷川丸と氷川神社]の続きを読む
  1. 2006/12/13(水) 22:47:12|
  2. 写真-神社
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

神社をめぐる、ということ

しばらく自分語りをしてみます。お付き合い下さいませ。脈絡のないことを淡々と書いていきます。特にまとめはしません。


いきなりですが某所へのメッセージだと思って下さい。

そんなに「手水」にはこだわりはないです。正式な作法もしっているけど、だいたい私は略式ですましています。手水をしないこともあります。

好きな神社や行く神社が決まっているのは、自然の流れです。私も一時期は毎月同じ神社にしか行っていませんでした。それも私の場合は四季折々の写真を撮りたいが為の訪問であり、神社崇敬の面から言えばなおのほか不謹慎かもしれません。現に、不謹慎な写真があると、御意見をいただいたこともあります。

神社の写真を掲載して、ああやこうやと「よそ者」がとやかく言うものでもないし、いろいろと意見をいただくこともあるわけで、うかつなこともいえずに書けずに、最近は「紹介が画一的になって面白みがない」ことになっています。自分でもわかります。つまらないなあ、と。
やっぱり私も熱意がないようですね。紹介の文章に昔のような熱意がないです。

『私も神社に飽きていた時期があります』

そりゅあ、一日で10社以上廻ったりすると、どっと疲れます。恐らくは気力が充実しすぎるのでしょう。
また、神社紹介サイトなんてものをはじめてしまうと、「サイト更新のために神社に行かされているような状態」になり、非常につらくなった時期があります。
間違いなく一時期の私は
「サイトのための神社詣で」
をしていた。
そのときは、感性も鈍って、とにかく掲載することを頭に浮かべた上で神社に脚を運んでいた。

正直、こんな参拝じゃあつまらないし、重みがあるんですよね。精神的に。それで嫌になった時期があった。


そもそも、単純にいって、熱烈な信仰心は私にはありません。多少の崇敬はあるとは思いますが。

私は大学では歴史を専攻していたバリバリの史学科卒の人間であり、視点として、まずは歴史に着目してしまいます。
つまり神社は「歴史伝承」の装置になってしまうのです。
国宝社殿とか重要文化財社殿とか、そういう重みが大好きです。社殿が古く歴史があるというそれだけで、私はそこに「神威的重み」を感じるらしい。それは神社を参拝するという基本的な意識が違うっぽいことです。

神社に参拝する、私の意義は・・・。

郷土に埋もれた地域に根づく土地土地の歴史。
それを実感する歴史装置としての「神社」。
私は「歴史」にたゆたう一側面としての「神社」を愛するが為に、各地の神社に詣でている。
幾百年をも培ってきた、その重みとしての「神社」に神威的な魅力を感じている。
神社そのものを含めた、存在としての神社を愛で、
そして神社自信が歩み、取り巻いてきた風土・環境・歴史・人物等の背景で楽しむ。
それが私の神社参拝スタイル。

それはよく言われる単純な「癒し」とか「神社ヒーリング」とか「霊的存在」とかではない。
私の体感する神社のひとときは「歴史の息吹」に多大なる比重が置かれている。
そんな「神社の歩んできた歴史の息吹」に癒される。

「神のやしろを想う」
神社を崇敬するわけでも信仰するわけでもなく「神社を想う」サイト。
神社に行って、わたしがきっといろいろなことを想うわけだ。
そんなような単純なこと。べつに神社でなにか難しいことを語りたいわけではない。
この神社の拝殿は500年の歴史をもっているんだよ、とか
平安時代の歴史書に出てくるんだよ、とか
そういうことを神社で知って、へぇぇと「想う」。そんなサイト。


4年前に歴史から神社に興味が広がり、去年あたりで、実は興味的な熱意はなくなっており、サイト更新自体は、今年に入ってからほとんど行っていないのが実情。
いわばサイト更新に飽きたから。変節を知っている人も多いかと思うけど、一時期は閉鎖閉鎖と騒いでいました。
要は「サイトの為に神社に詣でている」感が強くなって、もう嫌になったのですね。

神社自体は、往時ほどではないけど、そこそこ行ってます。昔は数多く廻ることを自慢していましたが、今はのんびりしたもので、気に入った一社に時間をかける参拝スタイル。

私が神社に行くのは格別には「信仰的」な意味あいはないです。そんなわけで。
サイトの掲載スタイルも当初は紀行文形式で、歴史がかならずついて回っていました。
いまでもサイトに乗せる際は歴史的な伝承がないと、ほとんど掲載作業はしていません。
そのかわり写真に凝りだしています。

神社に対して、信仰的な意味合いはない、と言ってしまったが、アミニズム的な考え方は私は持っているとは思う。
万物には「なにかしら」の「なにごとか」の「ありがたさ」があると。
非常に強力な気、それこそ神威的な気を感じとる神社もある。
おそらくは、その場の雰囲気と、神社の空間的環境と、参拝者の心理的要素、で感じとるたぐいかとは思う。

神社を濃厚に詣でるようになって4年経ちますが、去年の5月に「武蔵国延喜式内社」を暫定的に全部参拝したことによって、私は虚無的にどうでもよくなってきたようです。正確には。
やはり歴史の人間だったようで、式内社という歴史的な魅力が一つの到達点に至った時に、そこで満足してしまったようです。
さらにそこから全国に広がる気力もなく、私の知識的な器では、これが限界だった、と。
正直に言って、去年の夏以降は「神社はもうお腹一杯」な状態。

現在、サイトで更新待ちをしているのは有名所だけでも約80社?ほどあるらしい。

サイトは、まあ昔まとめた「神社の紹介」が、まがりまがって600社あるわけで、まあ、閉鎖するのも惜しいから残っているだけというのが実情。
去年春から低迷していて今年の春先にちょっとだけモチベーションがあがってドメインを取得したりしたけど、それでおわり。また熱意がなくなって、はんば放置で今日に至る。

神社の歴史を辿るのが好き。
神社の空間にたゆたうのが好き。

まあ、そんなわけです。

私も一時期「神社めぐりマイブーム」は終息していました。
いまは低迷しつつも、歴史と空間を楽しむ場所として、脚を運んでいます。
空間を楽しむと言うことは、当初から神社で写真を撮ると言うことも含んでいます。
神社を撮影場所にするのは不謹慎でしょうか?
そのときの情景を映しだす鏡として、写真すらも神威的な強さがあれば、そこに撮影した価値はみいだせるものと思っています。


そんなわけで、スタンスとして。
いつの間にか「神社紹介サイト」として私は、ある程度のステータスを持っているようでもあるけど。
そんな「神のやしろを想う」というサイトの管理人は、強烈な信仰心を持っているわけでもなく、知識として「基本的な神社作法」は知っているけど、大祓詞をそらんじているわけでもなく、まともに読み上げたことすらないわけで、それほど強力な信仰心があるわけではない。

『歴史』の視点対象として『神社』を媒体にしているのが、今の私のスタンスなのだ。

神社に対しては「ブーム」という表現はちょっと違うなあ。
行きたくなるときもあれば、そういう風にならない気の時もある。
バイオリズム的な雰囲気なだけで、行きたい時に行けばいいのでは。

そんなに難しく考えることはないです。
ちょっと神社に行って、ぼーっとお気に入りの時間が過ごせれば、それで満足なのですよ。私は。
だからお気楽な気持ちで良いのでは?
お気楽な気持ちで、神社に脚を運んで、お気に入りの場所を見つけて、そこで何かを感じらればそれでよいのでは。
なかには、そりゃあ、多くの神社のなかには、波長のあわない神社もありますよ。波長があわないときは、すっぱりと諦めてみるのも大切では。
タイミングと言うこともありますし、また別の機会に再訪してみると、180度印象が変わる神社もありますよ。

正確にいうと
神社に飽きた、というのは私は違うか。
私は 神社の更新をするのに飽きた、わけだから。

突然ですけど、神社の歴史を味わって見てください。
中氷川神社
写真は武蔵国入間郡の延喜式内社論社・中氷川神社(旧県社・入間多摩二郡総鎮守)
平安期の延喜式に記載される古社。
また戦後の神社界で大きな意味合いを担った神社。
昭和20年にGHQの民間情報教育局局長であったダイク代将が「民間のまつりをみたい」という申し出を東京大学の岸本秀夫助教授にしたところ11月25日に、当社で特別に祭礼がとりおこなわれ、のどかな村祭りを見物した民間情報局一行が日本の「神道を認識し直し、民衆の神社信仰を見直したといわれている。


こういう、埋もれた歴史に接するのが大好きなのです。私は。

はい。
脈絡不明で御免なさい。想ったことを推敲せずに書き連ねてみたのだ
  1. 2006/12/01(金) 23:56:12|
  2. 写真-神社
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

伏見稲荷大社~その1・紅葉散歩

そんなわけで Kanon聖地巡礼~守口市駅 を完了させた私は北上。

伏見稲荷へ。伏見稲荷はいろいろ強烈な思い出がある。
「神のやしろを想う~稲荷の雪山詣で」
あの時、前代未聞の雪中行軍をやらかして、さすがにそれで稲荷山を知ったつもりになるのはどうかと思って、今回は再登拝。

神社的なことは、例の如く「神のやしろを想う」を参考にしていただくとして。

伏見稲荷大社~ARIA聖地巡礼探訪記は、このあとで改めて編集するとして。
そもそも多くのARIAヲタは神社を深くは知らないわけで、そこは神社趣味者の最先端を行く?私が、正しい稲荷山登拝の仕方をご案内するのかな。

前回は雪中行軍を1時間50分でやらかした私。
ちなみに標準的なお山巡拝は2時間。
で、今回の私は3時間かけたのだ。おそらく普通の人が行かない場所もせっせと脚を運びまくったから。そんなわけでレアポイントばかりになった伏見稲荷の写真はこのあとに掲載するとして、まずは稲荷山で見つけた「紅葉写真」

実は、稲荷山で紅葉する樹木はそんなに多くなかったのだorz

伏見稲荷


伏見稲荷


今回は PENTAX K100D + DA16-45mmF4 のみで撮影。山登りなのでレンズを交換するのが億劫だったのだ。。。

[伏見稲荷大社~その1・紅葉散歩]の続きを読む
  1. 2006/11/27(月) 00:18:26|
  2. 写真-神社
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

上賀茂神社~紅葉散歩

京都から戻ってきました。結局、今日は「稲荷山」を登っていました。

それはそれとして、まずは上賀茂神社。
このブログは「神のやしろを想う」という神社趣味サイトのブログなのだからたまには本筋を。普段はネタ切れです。ぶっちゃけて、メインサイトを更新する熱意がないです。神社にはあいかわらず常人以上には参拝してますが、未更新神社が蓄積されるだけで。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)
(山城国一の宮・式内名神大社・二十二社第三位・官幣大社・世界文化遺産)
<京都府京都市北区上賀茂本山鎮座>

祭神
賀茂別雷大神(賀茂御祖神社祭神である玉依比売命の御子神。建角身命の孫神)

由緒
建角身命の娘である玉依比売命が加茂川で川遊びをしているときに、上流から一本の丹塗矢が流れてきた。その時に孕んで生まれたのが別雷神であり、父神は乙訓の火雷神であるという。
神武天皇のころに神山にご降臨なされ、天武天皇白鳳6年(678)に社殿が造営され、平安遷都後の地主神・皇城守護神として朝廷及び皇室に篤く崇敬されてきた。上社と下社が当初から分立していたかどうかは不詳であるが、平安期にはすでに分立していた。。
延喜式内名神大社。山城国一の宮。二十二社のひとつ。明治四年、下鴨とともに官幣大社列格。
摂社のうち、片山御子・賀茂山口・大田・須波・久我神社が延喜式内社。摂社は8社。末社は16社ある。
現在境内の34棟がおおむね寛永5年造替のもので国の重要文化財指定。本殿・権殿は文久3年の造営で国宝に指定されている。祭礼は5月に行われる葵祭が京都三大祭のひとつとして著名。
平成6年、世界文化遺産登録。

神社に関しては「神のやしろを想う」を参考に
http://jinja-kikou.net/kyoto1.html#2

思えば、神社に興味を持つようになって以降で
はじめて行った京都の神社が「上賀茂」さんだったんだよなあ。そんなわけで3年半ぶりの再訪です。
IMGP2314-1125L.jpg
PENTAX K100D + DA21mm 1/250 F7.1 露出+0.3

上賀茂
PENTAX K100D + DA40mm 1/200 F5.6 露出+0.3


[上賀茂神社~紅葉散歩]の続きを読む

テーマ:お寺・神社 - ジャンル:写真

  1. 2006/11/26(日) 19:03:57|
  2. 写真-神社
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

広島に巫女ヲタが多いのか?

唐突ですけど、命題。
「広島に巫女ヲタは多いのか?」

広島県護國神社。全国の一部のファンの間では伝説的に有名な
「万灯みたま祭・みこ踊り」
約100人の巫女さんが、とにかく踊ります。赤白赤白で踊りますwww
IMGP6064-m.jpg

IMGP6127-m.jpg
まあ、この写真は去年の「万灯みたま祭」なわけで今年は仕事で行けなかったわけですがorz
詳細はこっちかも

で、もうひとつネタがある広島県。
その名も高らかに
「巫女コンテスト(ミス三蔵稲荷コンテスト)」
福山市の三蔵稲荷神社<実は過去に神社には行ってます→神社レポはこちら
普段は静かな神社なのだが、毎年11月に巫女コンテストがあるとか。
で、上位入賞者は三蔵稲荷神社の正月のアルバイトをする事ができるとか。
さらには毎年正月3日にミス三蔵稲荷の巫女さんをモデルにした写真撮影会をやっているそうな。
気になる人はぐぐって見てください。マジで撮影会やってますwww

ちょwwwwwwwwなにこれwwwwww
広島の巫女ネタクオリティー高杉wwwwwwww

で。冷静になった私はいろいろ調べてみたのだよ。
今年はすでに三回行った広島尾道なわけですが。ついでに福山には二回行っているわけですが。
どうやら11月23日にコンテストがあるらしい(→未確認)
いくのか?
マジで行くのか自分。・・・巫女コンテストだよ。

全国三大巫女イベントとして、行かねばならないのか???
(註釈:かってに作りました。広島護国のみこ踊り・広島三蔵の巫女コン・能登気多の幸娘巫女)

11月23日はもしかしたら広島福山にいっているかもしれません。
か~み~ちゅ~!福山巡礼はすでにおおかた完了しているけどね。
誰か行きますか?巫女コンw

ついでに12月31日に「能登気多の幸娘巫女」を見に行く猛者も募集。誰か行くなら私も頑張りますが。
さすがに年末なので身動きがとれず去年は諦めたのだ。
・・・日本海で巫女さん約100人(一般公募50人・地元高校生50人)が禊ぎですよ。ワラ
気多大社公式<http://www.keta.jp/honden/yukimusume.html>
参考
http://www47.tok2.com/home/garakutaya/ishikawa.qt/yukimusume.html

上のサイトで動画が見れますけど、なんというか、ちょwwww頭わる、いやいや、ちょいシュールですね
参考
http://www.photoland-aris.com/myanmar/near/n12/
http://www.worldtimes.co.jp/col/every/ev030110.html

やべえ。今年こそ、行きたくなってきた。でも天候次第の12月31日の能登半島って、かなりギャンブルだしorz

むしろ1月3日の福山三蔵稲荷の巫女撮影会のほうが安全パイだ。
来年は広島で正月かぁ?
か~み~ちゅ~!
で正月でもいいかもしれないけど。。。
  1. 2006/10/18(水) 23:19:01|
  2. 写真-神社
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

箭弓稲荷神社

埼玉県東松山市に鎮座。

日曜日。埼玉県の免許センターは鴻巣にある。非常に不便な場所。免許の更新をすっかり忘れていて、ギリギリのタイミングで行ってきたのだ。
川越からバスに乗って鴻巣へ。帰りは鴻巣から東松山駅までバスにのってきた。そして東松山には東上線北部地域で有数の神社である「箭弓稲荷神社」が鎮座しているから、寄り道。

『箭弓稲荷神社』(県社・別表神社・やきゅういなり神社)
神のやしろを想う・掲載ページへ

御祭神
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ/保食神うけもちのかみ)
豊受比売神(とようけひめのかみ)

創建は和銅五年と伝えられ、規模の雄大さと社殿の壮大さは、関東に比なき稲荷大社と称せられ、里人の信仰の的になっていた。
第68代の後一条天皇の長元元年(1028年)下総国の城主、前上総介平忠常が、下総で反乱を起こし、安房・上総・下総を手中に収め、大軍を率いて破竹の勢いで武蔵国に押し寄せてきた。
長元3年秋、平忠常討伐を命ぜられた冷泉院の判官代甲斐守源頼信(多田満仲の子、頼光の弟)は、武蔵国比企郡松山の野久ヶ原に本陣を張り、当社にもうでた際に敵退治の願書を呈し、一夜祈願をしたという。その晩、白羽の矢のような形をした白雲が起こって敵陣地に飛んでいった。(一説には白狐に乗った神が弓矢を授けた夢を見たともいわれる)
源頼信は、これこそ神のお告げと感じ取り、ただちに兵を起こして敵陣に攻め込んだ。平忠常の軍は不意をつかれて敗北し、ついには壊滅してしまった。源頼信は勝利凱旋の際に立派な社殿を再築し「箭弓稲荷大明神」と、以後の社名は箭弓稲荷と称せられ、信仰をあつめたといわれている。
現在の社殿は享保3年(1718年)領主、島田弾正が四方の信徒と図って建築したものであるといわれている。本殿は正面5.43メートル、奥行5.15メートルあり、屋根は切妻単層三重垂木の銅葺でできている。本殿には幾多の彫刻が施されており、また本殿内部は日光廟を模した感じであるという。
また境内には「ボタン園」があり、関東随一の名園ともいわれている。

箭弓稲荷
正面参道から

[箭弓稲荷神社]の続きを読む
  1. 2006/10/03(火) 00:46:31|
  2. 写真-神社
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

佐太神社

ここは「神のやしろを想う~ぶろぐ」ですよ。
神社ばかりでつまらないというヲタはお帰り願います。
これが本来の本筋。

『佐太神社』(旧国幣小社・出雲国二の宮・延喜式内社)

出雲国風土記に「佐太の大神の社」とみえ、
延喜式神明帳には「佐陁大社」と大社号が記載されている古社。
本殿は出雲造社殿が三棟並立。
杵築大社・日御碕神社・佐太神社とともに出雲三大社と呼称される。
出雲熊野大社に対する出雲二の宮とも言う。
佐太神社

佐太神社

佐太神社

佐太神社


出雲佐太神社。ひろびろとした空間のなかに、ずしりとした安定感で、出雲造三棟が堂々と鎮座しています。
  1. 2006/09/20(水) 00:03:49|
  2. 写真-神社
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

出雲・熊野大社

「熊野大社」
島根県松江市八雲町鎮座 旧国幣大社・出雲国一の宮

延喜式神明帳に熊野坐神社と記載される古社。かつては神々の国出雲の筆頭神社。
・・・細かい由緒由来は「本館サイト」で掲載するので、写真だけブログで先行掲載
このブログの役割は神社の「写真を魅せる」ことにあるのだ。
出雲熊野
出雲熊野大社、正面。雨濡れる杜が神々しい

出雲熊野
拝殿。大雨です

出雲熊野
拝殿。あいかわらず大雨です。ところで、巫女さんを写真に取り入れるのは仕様ですか?

出雲熊野
手前は伊邪那美神社(延喜式内社)、奧が熊野大社本殿。

出雲熊野
上流に500メートルほどいったところにある「上の宮跡」。かつては上の宮と下の宮(現在の熊野大社の地)の二社並立体制であった。

それにしても出雲熊野大社。バスで行くのが大変だった。
松江駅から八雲車庫行きのバスに乗って、さらにコミュニティバスに乗り換えるというバス乗り継ぎのローカルちっくな行き方でようやく念願の出雲熊野の地に赴けたのだ。・・・大雨だったけど。


・・・このブログもようやく「神のやしろを想う」のブログらしくなってきたぞ、と自問自答。
実はしばらく神社に飽いたらしい管理人でしたが、そろそろ復調らしい。
  1. 2006/09/18(月) 22:21:29|
  2. 写真-神社
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

神魂神社

出雲・神魂神社。
私の大好きな神域。この場所に来ると、改めて神社の凄みを体感できる。それこそ強力なパワーを感じてしまう。

「神魂神社」(かもす神社・大庭大宮・旧県社・国宝)
<島根県松江市大庭鎮座>
祭神:伊弉冊大神(イザナミ尊)・伊弉諾大神(イザナギ尊)
由緒:
当社は大庭大宮ともいわれ、出雲国造の大祖である天穂日命が、ここに天降れて御創建され、伊弉冊大神を祀ったことにはじまるという。
出雲国造家が、当地にて祭祀を司ってきていたが、当社に関しては出雲風土記にも延喜式にも記載はされていない。大庭から杵築に国造家が移ったあとに神社としての創建した可能性もあり、創建としては平安中期ごろと推定することもできる。
当地は出雲国府国庁にほどちかく、古代出雲の中心地であり、出雲国造の本拠地でもあった。出雲国造は郡領兼務の禁令(すわなち政治と祭事の分離。延暦17年・798)が出るまでは大庭の地にいたと考えられ、出雲国造が杵築に移転しても大庭は重要な祭祀場として機能していた。
本殿は日本最古の出雲造(大社造)神殿であり、国宝指定。正平元年(1074)のものとされている。
また貴布禰稲荷両神社本殿も室町時代造営のもので国重要文化財に指定されている。
<神社由緒書・神社辞典参考>
神のやしろを想うより抜粋

神魂神社
神魂神社本殿(国宝)。
雨にぬれる社殿が、かみさびて、さらなる神々しさをかもし出す。

神魂神社
大社造りの社殿を間近で仰ぐ迫力感。

神魂神社
結局、参拝中は私以外の誰1人もいない空間だった。

[神魂神社]の続きを読む
  1. 2006/09/17(日) 23:21:22|
  2. 写真-神社
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:4
次のページ

メインサイト


神のやしろを想う

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。

カレンダー

05 ≪│2017/06│≫ 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

自己紹介

ブログ管理人:伊達青衝
サイト「神のやしろを想う」
の運営者





神社好き
 ・埼玉の神社
 ・武蔵国延喜式内社


鉄道好き
 ・ローカル私鉄全般
 ・銚子電気鉄道


PENTAX党
 ・*istD 2台
 ・K100D
 ・K10D
メイン使用レンズ
 ・DA21mmF3.2Limited
 ・FA28mmF2.8
 ・FA35mmF2.0
 ・DA40mmF2.8Limited
 ・FA50mmF1.4
 ・FA77mmF1.8Limited
 ・F☆300mmF4.5
 ・DA16-45mmF4ED
 ・DA50-200mmF4-5.6ED



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

カウンタ

バロメーター

全記事(数)表示

全タイトルを表示

ブログ内検索

RSSフィード

_

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。